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歴史

毛利元就の城は?広島にあるのか山口の方が有名だけど

2017/08/03

毛利家の城っていうと、山口県の萩って言う人も多いけど、毛利元就ってなるとねえ。これが広島なんですよね。広島の安芸郡山城なんですが、実は小さい頃は猿掛城にいたんです。まあ、広島でも山口でもいいんですけどね。

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毛利元就の城は?

毛利家っていうと、特に歴女とか歴史おやじじゃないと、山口かどっかじゃなかった?幕末のときにねえって話になりますよね。

その当時は、山口県の萩にお城がありました。今でも萩というと観光ルートだから、萩の指月城跡っていうのは、観光客多いです。

そう、今はもうお城はなくて石垣だけ。ですが、周りに堀があるから、それはそれで、写真を撮っても様になるんですけどね。

ですが、毛利家、もともとは広島県の出身。大元は神奈川県になるらしいけど、一応戦国時代では、広島県。安芸吉田の郡山城っていうのが、毛利元就のおうちっていうか、本城でしたよね。

が、実は毛利元就って次男なんです。お兄さんがいました。腹違いの弟もいたけど、それは謀反を起こしたから粛清しています。

ですが、そのお兄さんが酒の害で早くして亡くなったので、次男の毛利元就が家督を継いだってわけ。

毛利家は、代々嫡男には◯元って元の字が下にくるんです。お父さんは毛利弘元、お兄さんは、興元。元就は、次男だから、元が上についているんですよね。

毛利元就の嫡男も、隆元でやっぱり元が下ってことで、その辺を見れば、嫡男か、そうでないかもわかります。

って、お城の話でしたね。で、そんな訳で、次男だったんだけど、幕府と大内氏の争いに巻き込まれたから、元就がまだ小さいときに、お父さんの弘元は隠居して猿掛城に元就と一緒引っ越したんです。

ってことで、元就は小さい時は猿掛城にいたんですよね。ただ、その後すぐに弘元は死んでしまったので、家臣の横暴から猿掛城も追い出されるんですけど、弘元の側室の杉の大方が支えてくれて、その後猿掛城に復帰するって言うわけです。

その後、もろもろあって、毛利家の家督を次ぐわけですけど、それまでは猿掛城が元就のお城だったということなんですね。

ですから、結構長いあいだ住んでいたみたいで、元就の嫡男隆元とか、五龍局とかも、猿掛城で生まれたといわれています。

山城だったから、今は跡形もないみたいですが、安芸高田市の多治比ってところだから、興味のある人は地元ボランティアに案内してもらってもいいんじゃないでしょうか。

ちなみに、杉大方の墓が近くにあるといわれています。テレビでも、NHKとかが、現在の様子を映していましたが、ホント何にもありませんでした。

毛利元就の城は広島?

ところで、その本城の安芸吉田の郡山城、これってもともは山城。っていうか、まだ戦国時代は、今残っているようなお城って言うカンジではなかったみたい。

そもそもは、砦程度の小規模な城で、当時の一般的な国人領主や豪族の城と同じようなものだったと言われています。

郡山城っていうと、天文9年(1540年)から翌年正月まで続いた吉田郡山城の戦いが有名ですよね。

尼子晴久率いる3万の大軍に包囲されたんだけど、領内の農民男女も一緒に籠城して、最終的には尼子晴久を撃退したあの戦いです。

が、その当時はまだ城の拡張はされてなかったようで、少なくとも、南麓に堀が設けられたのは、天文20年(1551年)頃と言われています。

その後は、拡張・整備が続けられて元就だけでなく、嫡男の毛利隆元や一部の重臣たちの館も設けられたみたい。

戦時のみ城郭に籠もる従来型の山城から、平時の居館と戦時の城郭が一体化する近代的な性格を持つ城に変わったと言われています。

そんな安芸郡山城ですが、慶長20年(1615年)に江戸幕府が出した一国一城令により取り壊されてしまいました。

昭和15年(1940年)に吉田郡山城跡が国の史跡に指定され、昭和63年(1988年)には猿掛城跡を追加して「毛利氏城跡」となり、平成18年(2006年)4月6日、日本100名城(72番)に選定されています。


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毛利元就の城で山口は?

ところで、毛利家っていうと、冒頭に書いたように、山口県の萩って言うイメージが強い人も多いみたい。

その萩城ですが、関ヶ原の戦いに西軍の総大将に就いたことにより周防国・長門国の2ヶ国に減封された毛利輝元氏が、広島城に代わる新たな居城として慶長9年(1604年)に築いたお城です。

安芸吉田の郡山城から、広島城にメインのお城を変えていたんですけど、負けちゃいましたからね。指月山の山麓にある平城(本丸・二の丸・三の丸)と山頂にある山城(詰丸)で構成されていて、別名指月城。

で、その後ずっと江戸時代は長州藩(萩藩)の拠点でだったんですけど、明治7年(1874年)前年に発布された廃城令により櫓など他の建物と共に破却さてしまったというわけです、

今は石垣や堀(水堀)のみが残っていますが、二の丸土塀や三の丸総門など一部は復元されているみたいですよ。

松下村塾や侍屋敷などが近くにあるから、萩観光ルートしては、この指月公園(しづきこうえん)にも行ってみてください。

萩温泉郷 萩焼の宿 千春楽


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yorezoの戯言

萩って、萩津和野ルートっていわれているぐらい、若い女性とかには人気だけど、結構行くのがねえ。東京とかからだと、スターフライヤーで、山口宇部空港へ。

別にスターフライヤーじゃなくても、ANAもJALも飛んでいるけどね。そこからは、車で1時間半ぐらいかな。バスも出ていたと思います。

萩まで行ったら、世界的に有名な角島にも行ってみてもいいかも。そういう意味では、宇部空港でレンタカーを借りるのが、山口観光にはおすすめです。

あっ、もちろん、萩城もしっかり見てくてくださいね。では、良いお城を。

※戦国武将についての記事はこちらにまとめてあります。
戦国武将記事一覧まとめ⇒

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