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歴史

毛利元就は尼子攻略に一生をかけたけど経久晴久国久とはどんな関係

2017/08/03

毛利元就って、ある意味尼子制覇に一生をかけたといってもいいぐらい。結局尼子を全滅させたのは、死ぬ数年前でしたからね。尼子経久には従っていたけど、その孫の尼子晴久とは決定的に戦うことになり、尼子国久を滅亡させたのが、尼子滅亡へつながったんじゃないですかね。

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毛利元就と尼子経久

毛利元就っていうと、西国一の戦国大名ってことになっていますが、ずっと尼子に悩まされていたんですよね。

ある意味、毛利元就の一生は尼子征伐のための一生って言ってもいいぐらい。尼子を滅亡させたのは、元就が亡くなる4年ぐらい前ですからね。

毛利元就の生まれた時は、山陰に尼子、山陽に大内っていう巨大勢力いて、毛利家はどっちにも日和見な姿勢を取っていました。

っていうのも、ちょうど毛利家があった安芸っていうのが、その尼子と大内の交わる部分だから、どちからかも影響があったというわけ。

もちろん毛利家もそんな感じ。だって、当時毛利家っていうと、村長さんぐらいの規模で、尼子も大内も県知事を3つ4つやっているような巨大勢力でしたからね。

まあ、町工場の社長と上場企業みたいなカンジですかねえ。ですから、それを一代で制覇したっていうのも、一般庶民に夢を与えてくれるんですよね。

大内に対しては、いろいろあったけど、結局厳島の戦いで陶晴賢を討ったのが最終的な大内氏滅亡ってことになりますかね。

が、尼子に対してはねえ。まず元就が小さいころから青年期までは尼子経久が山陰の重鎮として睨みを利かしていますよね。

元就も散々苦しめられたし、一時は従ったけどひどい仕打ちを受けていますからね。まあ、上に書いたように弱小町工場の社長は、いやいやでも従わないと、毛利が潰されてしまいますからね。

現に、毛利元就の兄・興元がなくなり、その子も9歳でなくなって、毛利家の家督は元就がってときに、元就の異母兄弟っていうか、弟ですな。

相合元綱を毛利家の当主にって、尼子が言い出したんですよね。それで、相合一味を粛清して、尼子とは距離を取り始めたっていわれています。

その後、尼子経久は子供がいたんですけど、孫の尼子晴久に家督を継がせるんですが、これがねえ。失敗だったんですよね。

毛利元就と尼子晴久

尼子経久は、よく言われているように、「謀大きは勝ち、謀少きは負ける」ってことで、かなりの戦略家だったようです。

が、孫の晴久はある意味単細胞、血気盛んっていえればかっこいいけど、そのあたりは経久の足元にも及ばなかったみたい。

ですから、有名な吉田郡山城の籠城に際しても、3万もの兵で攻め入ったのに、結局落とせずに退散しているんですよね。

その時経久は、毛利元就を侮るとひどい目に遭うって言って、攻略を辞めさせようとしたんですけど、忠告を聞かずに行ってしまったってことで、そのあたりは経久は元就の力をよく掴んでいたってことでしょう。

あと、大河ドラマとかでもそういうシーンがあったけど、尼子経久が偉大過ぎたってっていうのもあるみたい。

尼子経久が家督を晴久にゆずっても、結局節々で経久が敷いたレールがあって、それに乗っておけば安泰だったのに、晴久は考えなしだから、なんでもかんでも経久、経久ってことで、反抗期の少年みたいに、敢えてそれから違う方向にいこうとしたのも失敗の原因。

タダの反抗期ならいいけど、当時は尼子家を背負っているわけですからね。どうも人間っていうのは、ダメな人ほど自分を出そうとするんでしょうね。

せっかく尼子経久がレールを敷いてくれてるんなら、それに乗っかって、行けるとこまで行った方が楽ちんなのにね。

はいはい、ラクばかり考えるのは私だけでした。ってことで、その辺が元就と晴久の差ってことなんでしょう。


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毛利元就と尼子国久

ところで、尼子には尼子国久って言う人もいました。尼子経久の次男。晴久からすると岳父になる人。

この尼子国久っていうのが相当なな猛将で、新宮党っていうのを作っていたんですよね。それがまた、晴久は気に入らなかったみたい。

確かに一部では、新宮党だからっていうことで、尼子の中でも好き勝手をして、結構横暴だったという説もあります。

が、この新宮党がいれば、これまた尼子軍も安泰というか、そう簡単には毛利にやられることなかったんですけどね。

晴久としては、面白くないわけですよ。目の上のたんこぶみたいなもので。で、これまたホントか嘘かしらないけど、その軋轢を狙って、毛利元就が策略を仕掛けるんですね。

安芸の罪人に元就と国久が通じているって言う手紙を持たせて、尼子の領地に向かわせ、そこでその罪人を切り捨てるんです。

そうすると、尼子の兵は不審に思って身元を確かめようとすると、その怪しい手紙が出てきたから、晴久はすっかり騙されて、国久を粛清したとも言われています。

が、最近では、それは作り話で、毛利元就に関係なく、新宮党の横暴に手を焼いた晴久が国久を粛清したと言う説も有力です。

まあ、どっちにしても、国久率いる新宮党が壊滅したことにより、尼子の戦力は激減。そして毛利にやられるって言うわけですな。


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yorezoの戯言

そういうのを知ると、やっぱり毛利元就が3本の矢じゃないけど、兄弟仲良く、毛利家を絶やさないようにって、息子たちに諭したのは戦国時代を生き残るための必須条件だったのかもしれませんね。

まあ、今でも同族会社だと、兄弟で争いが多いみたいですしね。権力とかって、人を変えるから、困ったものです。

ちなみに、合同会社どこ吹く風は、分類としてはもちろん同族会社ですけど、血縁が居ませんからね。どうしようもありません。猫でも継いでくれるといいんですけどね。では、良い同族を。

※戦国武将についての記事はこちらにまとめてあります。
戦国武将記事一覧まとめ⇒

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