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歴史

尼子経久と晴久と国久って人気あったの?城とか鹿之助とか

2017/08/03

尼子って、戦国時代に山陰地方の8か国だか11か国を治めている巨大勢力ですよね。尼子経久から晴久とか国久が活躍した時代。ですが、なんか歴史もので人気ないですよね。何で?なんで?それに、城ってどこだったんですかね。尼子一味っていうと、山中鹿之助ぐらいしかメジャーじゃない気がするんですけど。

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尼子の経久と晴久と国久の人気は?

尼子って山陰っていうか、島根県とかだと、すごい人気というか、尼子の本拠地はこの辺でって話がすぐに出てきます。

が、全国的に見るとあんまり人気ないじゃないですか。別に天下を取ってないからって言うわけじゃないけど。

そういう意味では、武田信玄っていうか武田家ですよね。他にも上杉とか、伊達家とかより、じぇんじぇん領土は広いのにね。

やっぱり本州でも外れ、それも山陰っていうのがあるんですかねえ。結局は織田信長とか、あのへんとたたかったかどうかっていうので、人気があるかどうかが決まるみたい。

って思っていたんですよ。と思ったら、そうでもないっていう説が最近浮上してきました。

実際の戦国時代は知らないけど、22世紀の現代で戦国物っていうか、戦国時代に人気のあるものって、やっぱり共通点があるみたい。

まずは、有名な戦いですよね。桶狭間の戦いとか、川中島の戦いとか、そういうのがないと、戦国物ってことだと本を読んだり、ドラマを見ても面白くないですからね。

そういういみでは、尼子って地道に領地を広げていったってことで、尼子家主導の有名な戦いがほとんどないんですよね。

これが一番の理由っていわれています。ですから、逆に隣の毛利元就とかは、厳島の戦いで、3000ぐらいの兵で2万の大内軍を破ったってことで、ドラマになるみたい。

それから、別に天下を取らなくてもいいんでしょうけど、って、最終的には勝つのは徳川家ですからね。

そうじゃなくても、滅亡時するときにあんまり悲劇性がなかったっていうのも、これまたドラマにならないんですよね。

毛利軍にやられるけど、月山富田城に籠城して、それでも毛利も無理に攻めなくて、城の周りでご飯炊いて待っていて、投降しませんかって呼びかけに応じて、最期は50まで兵が少なくなったっていわえていますからね。

これじゃあ、ドラマになりません。まあ、ドラマじゃなくても書物でもいいんですけど。

あと、結局は関ヶ原の戦いで負けてもしょうがないんですが、江戸時代でも大名家として家が続いていれば、これまた違った展開だったかも。

上杉でも伊達でも、毛利でも、縮小されても江戸時代もありましたよね。それが尼子はなかったっていうのが、実は一番大きな原因じゃないかと、私は思っているんですけどね。

その他、歴史オタク、失礼、歴史に詳しい人によると、宗教がらみがなかったっていうのも理由の一つみたい。

一向一揆じゃないけど、一向宗と対立したとか、毛利みたいに本願寺を保護と言うか擁立したとかだと、これまたドラマになるみたいですね。

ってことで、その辺のことから、尼子は一大勢力だったのに、ドラマというか戦国物として、現代では人気がないみたいですね。

尼子の経久と晴久と国久の城は?

ところで、その尼子家、尼子経久、晴久、国久っていうのが、最期の時代の主なんですけど、経久と晴久がいたのが月山富田城。

難攻不落の城として有名です。っていうのも、急峻な山の上のある山城っていうのが、一番の要因。

3つの出入り口があるんだけど、全部急峻な斜面で、正面は北側っていうのも、いかにも山陰の山城ってカンジですよね。

その3つの出入り口っていうのは、北麓の菅谷口(すがたにぐち)からの大手道(おおてみち)、富田橋を渡った正面の御子守口(おこもりぐち)からの搦手道(からめてみち)、南麓の塩谷口(しおだにぐち)からの裏手道(うらてみち)なんです。

ですが、これらの全ての登り口には城門があって、門の外には深い堀がめぐらされてるんです。それにすべての進入路は山腹の山中御殿に通じているから、これまた敵が攻めてきても、急峻な一本道だから、これまた簡単には上には行けないっていう作りなんです。

それもあって、大内毛利連合軍は、結局落とせなかったんですよね。その時は毛利元就も命からがらやっとのことで逃げ帰ってきたし、それがあったから、大内義隆はそれから軍事に興味がなくなったんですよね。

その後、毛利が改めて攻めに行ったときも、毛利元就、吉川元春、小早川隆景が勢揃いして、攻めたんですけど、じぇんじぇんだめ。

ってことで、兵糧攻めにして、最初は投降しようとした兵がいると、すぐに切り捨てて籠城させて食料を無くならせて、その後、尽きたところで、投降を募る看板を立てたものだから、一気に兵が投降して、結局残ったのが50人ともいわれています。

まあ、難攻不落でも、結局時間をかけられるとねえ。きびしいですよね。戦国の世の厳しさってことですかね。私の人生も厳しいけど。


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尼子経久と晴久と国久と山中鹿之助は?

ちなみに、その中でも山中鹿之介だけは、なんども毛利軍の将の首を取っているんですよね。7つとも9つとも言われています。

その後も、尼子氏が滅亡しても、尼子復興のために山名豊国の軍に参加したり、それでもダメだと思ったら、織田信長軍として戦ったりしているんです。

が、結局毛利軍に捕まって、それでも脱走したりして、ホント何度でも蘇るってカンジ。

ですが、最期はやっぱり毛利軍に討たれてしまうんですね。まあ、この辺は、長くなるから、改めて山中鹿之介で記事を書きたいと思います。

そういう意味では、意外と尼子の中では、山中鹿之介は有名だし、ファンが多いんじゃないでしょうか。


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yorezoの戯言

尼子といい、月山富田城といい、なんか響きが不気味っていうか、強そうですよね。本来なら、尼子が西国一の戦国大名になっていてもおかしくなかったんでしょうけどね。

そこは尼子経久のあとの晴久がイマイチ、っていうか、毛利の場合は、3人優れた息子がいましたからね。この差は大きいですよね。

ちなみに、大河ドラマ毛利元就での尼子晴久は、高嶋政宏。これが血気盛んだけど、イマイチ考えが足りないっていうのを、うまく表現していましたね。興味のある人はぜご覧ください。

※戦国武将についての記事はこちらにまとめてあります。
戦国武将記事一覧まとめ⇒

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