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歴史

徳川家康は浜松城に一番長く居た?武田信玄から逃げ帰った時の絵が

2017/08/03

徳川家康っていうと、いろんな城を居城としていたけど、浜松城に一番長く居たんですかね。いろんな戦いも浜松城からしていますしね。でも、武田信玄には、負けて逃げ帰ったのも浜松城って言われています。その時の絵をいつもそばに置いていたとか。

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徳川家康は浜松城に一番長く居た?

徳川家康っていろんな城にいたんですよね。家康ファンとか、歴史オタクじゃなければ、江戸城じゃないの?

とか、せいぜい小さい頃に人質になって、駿府城かどっかにいたよねえ。とか、浜松から出世したって言うじゃんとか。それでも、結構知ってる方になりますからね。

本当に、結構いろんなお城を居城としています。年代順に並べると
駿府人質時代 1547年~1560年
岡崎 1560年~1570年
浜松 1570年~1586年
駿府 1586年~1590年、1608年~1616年
江戸 1590年~1595年
伏見 1595年~1599年(1598年までは城下の伏見屋敷)、1600年~1605年
大坂城西の丸 1599年~1600年
二条城 1605年~1607年
ってことで、7個、駿府城は人質と、天下取る前と取った後の3回も居城にしているから、意外と、岡崎よりも駿府というか、今の静岡ですが、そっちの方が家康ファンが多いかも。

ただ、これまたおもしろのは、人質時代は置いておいて、駿府城って結局家康が天下を取ってからもやってきたというか居城にしているから、静岡の人って、家康のことを家康公って敬意を払って呼ぶんですよね。

それに対して、浜松の人って家康って呼び捨て。っていうか、仲間みたいに思っているんです。

っていうのも、浜松城って上を見れば分かるけど、実は家康が一番長くいたお城(人質時代を除いて換算)。

それに、出世城っていわれているように、浜松城から天下を取る足がかりを作ったってことで、浜松の人は、家康のことをそういう風に親しく感じているってことのようです。

それに、ホント浜松城は、その後も城主を勤めた人の多くが、幕府の重要なポストについているから、それもあって出世城ってよばれるみたい。

水野忠邦なんかは、敢えて自分から志願して浜松城主になったとも言われていますからね。浜松に行ったら、その後出世するかも。はいはい、せんべい屋に出世もヘチマもありませんでした。

徳川家康は浜松城に武田信玄から逃げ帰った?

そんな浜松城ですが、実は家康がいた頃は、まだ出世城とも言われてなくて、結構我慢と忍耐の時代だったみたい。

っていうのも、家康は海道一の弓取りともいわれていますが、すぐ横っていうか上っていうか、地図で言うと北ですが、あの武田信玄がいたわけじゃないですか。

ですから、まず武田軍に対して、攻め込まれれないようにする必要があったんです。それが浜松城ってわけ。

それまでは、曳馬城っていわれていました。今でも浜松市内に曳馬って言う地名があるし、遠州鉄道の駅もあります。

って言っても、別に史跡っていうよりも、住宅地みたいですけどね。浜松駅からそんなに離れてないから、市街中心地です。

その曳馬城をまず改修。攻め込まれないようにしました。が、曳馬って馬を引かせるって縁起が悪いってことで、浜松城に改名したんです。

が、武田信玄との勝負に敗れて、命からがら逃げ帰ったのも浜松城。地元とか家康ファンならご存知のことですが、三方ヶ原の戦いってやつ。

元亀3年(1573年)に、武田信玄がこの城を攻める素振りを見せながら、これを無視するような行軍をして家康を挑発したのがことの始まり。

家康もまだ若かったってことで、挑発されたもんだから浜松城から打って出たたんですが、そこは武田。武田軍の巧妙な反撃に遭って敗北しちゃったんです。

この三方ヶ原の戦いでは徳川軍の一方的な敗北で、家康も討ち死に寸前まで追い詰められ、夏目吉信や鈴木久三郎を身代わりにして、成瀬吉右衛門、日下部兵右衛門、小栗忠蔵、島田治兵衛といった僅かな供回りのみで浜松城へ逃げ帰ったと言われています。

ってことで、天下人でもその前には失敗をしていると聞くと、チョット安心しますよね。今の世の中、命までは取られないから、しつこくやり続けたら、いつかは天下を取れるかも。はいはい、いつもの妄想でした。


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徳川家康は浜松城で負けた時の絵を?

ところで、その家康、三方ヶ原戦でほうほうの体で城に帰った後、ナント、敗戦直後の意気消沈した自分の顔の絵を描かせたんです。

そして、生涯この絵を大切にし、敗北を自戒したっていうだから、やっぱり失敗から得るってことでしょうね。

あーあ、負けちゃったで終わるか、それを自戒して、次につなげるか、大きな差になるってことを教えてくれますね。

そうそう、その絵っていうのが、あの有名な「徳川家康三方ヶ原戦役画像」のことです。

最近いろんな本とかで取り上げられているから、「家康が、自身の慢心を戒めるために自身の姿を描かせ、自戒のために座右に置いた」という逸話が家康の人間性をよく表していると言われているのは知っている人も多いんじゃないですかね。

名古屋市の徳川美術館に所蔵されているから、名古屋に行った際には、見てくるのもいいんじゃないでしょうか。

名古屋マリオットアソシアホテル


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yorezoの戯言

徳川家康って、なんかたぬきオヤジってイメージで、そんなに好きじゃなかったんですけど、やはり天下を取る人っていうのは、共感出来るところが多いですよね。

織田信長がいけそうだったのに、最期にあんなことになり、一応秀吉が天下を取ったってことになったけど、すぐに家康にやられて、その後250年の安泰ですからね。

徳川家康、改めてその生き様について考えてみるのもいいかもしれません。あっ、もちろん、せんべい屋として、天下が取れるかどうかはしりませんが。では、良い家康を。

※戦国武将についての記事はこちらにまとめてあります。
戦国武将記事一覧まとめ⇒

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